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総選挙を大勝利に導いた、自民党の選挙広報とは その3

情報の組織的共有と連携

各部署の連携をとる

それまで党内の広報PR体制は、部署ごとにバラバラでした。
記者クラブ対応は幹事長室が、苦情受付は情報調査局が、機関紙はまた別のところが、というように、それぞれが勝手に動き、誰も全体を把握していませんでした。
そこで、自民党としての一貫性を持たせ、有機的に連携をとれるよう、「コミュニケーション戦略会議」を設置します。
毎朝10時に、各新聞、テレビのクリッピングをもとに、すべてをチェックして対応を議論。寄せられた苦情は、大事なヒントになるので、すぐさまフィードバック、アドバイス、情報交換につなげました。
たとえば、「選挙のお願いに、大きな車で派手なスーツで来た」という意見があれば、その議員に「イメージが悪くなっているから注意しろ」と伝えたり、幹部の発言が誤解を招いた記事になっているようなら、「すぐに修正のコメントを出せ」と指示したり。

参院選の失敗

それからまもなく、参議院選挙があったのですが、当選落選の調査しかしていなかった世論調査でも、投票の基準や好感度まで聞き出すようにしました。
当時までは、まったく戦略性に欠けていたので、幹部の選挙応援にしても、要請があれば応援にでかける、というぐあいで、選挙情勢全般を俯瞰したり、重要度を勘案したり、という作業はなされていませんでした。
そのため、選挙最終日の首相演説は、ほうっておいても当選確実な東京でした。
しかも、「東京なら浅草だろう」という誰かのよくわからない意見で決まったのでした。民主党は激戦の続いていた静岡で、最終演説をしました。
結果は民主党の大勝利。「当たり前だ」と世耕氏は歯噛みしました。

ブログ、タウンミーティング

とはいえ、参院選でそれなりの効果を発揮したので、小泉首相も評価し、党の広報責任者を任されます。
選挙の候補者を公募することにしたときも、コンセプトを明確化し、広告も変えました。
既得権を守りたい昔ながらの業界だけでなく、新たな支持者も獲得しようと、IT業界、障害者団体などと交流し、女性向けの策も講じます。
これらがのちの、有名なブログの書き手(ブロガー)を約30人、党本部に集めて、幹事長が話をする、ということにつながります。(世耕氏もブログを書いています)
そうして着々と改革を進めるうちに、今回の総選挙がいよいよやってきました。

総選挙を大勝利に導いた、自民党の選挙広報とは その4

総選挙を大勝利に導いた、自民党の選挙広報とは その1
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