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総選挙を大勝利に導いた、自民党の選挙広報とは その5

杉村太蔵クンと、危機管理広報

データを重視

これまでの選挙では、党幹部が応援要請に応じて、適当に演説に行くというのが通常でした。
「場当たり的過ぎる。もっとデータの重視をして、効率的な役者の使い回しを」と考えた世耕氏は、選挙情勢を冷徹に分析しながら、民主党と激しく争い、接戦になっている選挙区のみに、首相をはじめとする幹部を優先的に送り込むようにしました。
とくに週末は、ビジネスマンが自宅にいる首都圏に集中させ、前回の選挙で負けばかりだったのを一気に挽回させる原動力となりました。(ずいぶん地方の候補者などから恨みつらみも受けたようですが、かまっている場合ではありませんでした)

候補者を援護射撃

さらに、「刺客」と呼ばれるような新人候補者が多かったことにも注目し、党本部から、毎日ひんぱんにFAXで政策や選挙情勢、首相の発言、民主党の失敗などを、必ず1枚にまとめて、箇条書きで送りました。合計で70通にも及んだそうです。
あとで、候補者から、「毎日の演説のネタに大変助かった」と感謝されたそうです。意外かもしれませんが、候補者は毎朝早くから駅頭に立ち、遅くまで宣伝カーに乗って走り回っていますから、実はなかなか現在の状況、ニュースなどを把握している暇がないのです。
「情報過疎」に陥りがちな候補者を、後ろから絶えず支援した施策は、企業で言えば、地方と本社、海外と東京、工場と営業、などの関係でも参考になるのではないでしょうか?

杉村太蔵クンと危機管理広報

選挙後、大きな話題になったのは、通常なら当選するはずのない比例区名簿下位にいた、フリーター出身の杉村太蔵クンでした。
いきなり「料亭にいってみたい」とか、「2500万円も給料がもらえるの?」とか、過激発言で週刊誌やテレビの話題をさらいました。
とはいえ、「国会議員にあるまじきレベルの低さ」、などと批判も相次ぎ、やがて本人も立場がなくなっていきました。
世耕氏は、相談に来るまで放っておいたそうですが、本人がやってきたとき、いくつかアドバイスを与えます。
「自分1人で記者会見をしろ」
「ウソをつくな。わからないことは、わからないでいい」
「質問はいったん飲み込んで、腹から答えよ」
アドバイスを真面目に受けた杉村クンは、数日後会見に臨み、綱渡りでの質疑応答になりましたが、なんとかガス抜きに成功、以後は若者のヒーロー?
のようなポジションで、彼なりに活動しているようです。
このアドバイスは、企業で言えば、危機管理(リスクマネジメント)のトップの対応策としても、十分活用できると思います。
「基本に忠実であれ」
これが世耕氏の最大の広報PRのポリシーだそうです。

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