PRノウハウハウツー

NHKの思い出

学生時代にNHKでアルバイト

学生時代に、NHKでアルバイトをしていました。
アルバイトは皆、「坊や」と呼ばれました。
知人がアルバイトしていたので、頼み込んで、数十倍という難関を突破しました。(今も同様の人気らしい)
配属は、渋谷のNHK本局のニュース番組。
当時、「ニュースセンター9時」(略称NC9)、「10時のスポーツとニュース」というのがありました。
「NC9」のメインキャスターは、木村太郎記者(現在フジテレビ「スーパーニュース」)、宮崎緑さん(現千葉商科大学教授)でした。
「10時の〜」のキャスターは、松平定知アナウンサー(現「そのとき歴史は動いた」など)
主に、この2つの番組で、裏方AD(テロップの文字出し、タイムキーパーなど)をしていました。

日航旅客機墜落事故のとき

松平アナはまだ有名になる前で、渋谷の街に飲みに連れて行っていただいたりしました。
宮崎さんには、当時の学生仲間と、キャスターの裏話などを聞く、座談会にきてもらったこともありました。
木村さんは、当時私がなりたかった記者の大先輩ということもあり、近寄りがたい存在でした。
とくに「NC9」はNHKの報道の看板番組で、プロデユーサーもNHKの凄腕が集まっており、傍でみていても、その仕事ぶりは憧れの的でした。
なかでも、NHK,そして木村さんが本領を発揮したのが、「日航旅客機墜落事故」でした。

さらに記者に憧れる

事故の一報が入ったとき、ちょうど私はスタジオにいました。
大変なことが起きた、とスタジオが騒然となり、戦争のような怒声が飛び交うなか、プロデユーサーや木村さんは、平然と情報を仕切り、次々と原稿にまとめて、ニュースとして読み上げていきました。
日航本社でレポートする記者とスタジオとの対応では、記者会見を差し置いて、視聴者が何より知りたい、乗客名簿の読み上げを指示して、後々評判になりました。
もともと記者になりたいと思っていましたが、彼らの姿を間近にみて、さらにその意を強くした覚えがあります。
もっとも、その後の就職活動では、日経新聞とNHKを第一志望にしたものの、今度は難関を突破できず、NHKは落ちてしまいました。
「日経に行くことになりました」と木村さんに伝えたら、「裏切ったな?」といわれました。違うのに・・・(笑)