社長コラム

奇妙な株主総会

株主総会終了

3月期決算の企業で、株主総会が終了しました。
私は、会社の事業として、IR(調査・ツール制作など)を手がけている一方で、個人投資家として、株主総会に出席することもあります。
今日は個人として参加したとき、感じたことをいくつか書いてみます。

仰々しい「お出迎え」

大企業の場合、いつも思うのが、仰々しいまでの「お出迎え」です。
総会の会場に入るとき、ものすごい数の社員が両側に列を作り、株主を出迎え、「いらっしゃいませ」との大合唱。
小心者の私なぞは、面食らってしまって、思わず引き返そうか、と思ったことが何度もあります。
社員に囲まれてエレベーターに乗っているときなどは、身の置き場に困ってしまいます。
「株主を大切にする」というのは、理解できるのですが、これはやりすぎではないでしょうか?
また、ここで大切にする必要がそれほどあるでしょうか? 
(無言の圧力をかけているつもりなら、話は別ですが)

いんぎん無礼

さて、会場に入って、議事が始まると、今度は形式的な進行が始まります。
前期の業績の説明、今期の見通し、各事業の推移など。
パワーポイントで作ったグラフやデータが大画面に映し出され、社長がたんたんと説明していきます。
大方の場合、大きな会場なので、社長や役員の顔もよく見えず、抑揚のない無味乾燥なレクチャーが延々と続くことになります。
インターネットの時代にあって、これくらいの情報など株主はすでに入手しているわけですし、マスコミ報道で分析もなされています。
また同じ情報を時間をかけて流す意味があるのでしょうか?
株主がわざわざ足を運んでくる、(たいていは平日の昼間なので、ヒマ人中心とはいっても)、その意味を会社が理解していない気がします。
役所の対応(霞ヶ関の官僚から、町役場の小役人まで)と同じ「いんぎん無礼」(丁寧だが、中身がない)を感じてしまうのは、わたしだけでしょうか?

株主の求めていることは

では株主は何を求めているのでしょうか?
第一には、業績向上による株価の上昇、配当の増加です。
これは日常の業務で応えてもらうしかありません。
第二には、経営者の素顔をみたいのです。
私がお金を投資している会社は、こんな人たちがこんな考えで運営しているのだ、ということを確認して、安心したいのです。
会社を引っ張る気概や意気込みくらい、見せて欲しいのですが、ほとんどお目にかかったことがありません。
会社説明のあと、質疑応答になりますが、たいていの場合、ろくな質問がでず、シャンシャンで終わりになります。
経営陣はそれをもって最上として、「無事に総会を乗り切った」と安堵するのです。
そのために、株主席の前列には社員株主=なんでも賛成、反対意見には抗議、を置き、かつては、総会屋を事前に封じる対策を講じていました。
「無難がベスト」であるわけです。
しかし、個人投資家が急増し、株式持合いがなくなり、外資からの投資も盛んになっている今、株主総会のあり方も、変わっていく必要があると思います。
会社法が改正されたからといって、余計に保守的になっていては、株主総会はますます形骸化するでしょう。
株主限定のコンサートをする、新メニューの模擬店を出す、主婦株主に新商品を試してもらう、などの企業が話題を呼びますが、これがむしろ当たり前なのではないでしょうか?
話題になること自体が現状の問題点だと思います。
経営者と株主が直接対話できる貴重な機会を、むざむざ無駄にしている気がして、なりません。
村上ファンドのような、正面きって主張してくる株主は例外であり、大多数はその会社が好きで、愛着をもって、
株式を保有しているのですから。
そうした目に見えない多数派への配慮が足りないと思うのです。
頑張って欲しい、と願っている株主に応えていく、そのまま株主でいてもらうには、どうしたらいいか?
そこに知恵を絞って欲しいものです。
「無機質」「ケンカ」でなく、「健全な対話の場」になるよう、株主総会を設定してもらいたいと願います。