社長コラム

自衛隊の広報

陸上自衛隊・朝霞駐屯地

今回は、陸上自衛隊・朝霞駐屯地(埼玉)でヘリコプターに試乗をした時の話です。
自衛隊の広報についても、考えてみたいと思います。
「親しまれる自衛隊を目指す」とかで、「りっくん」(陸上だから?)なるマスコット・キャラクターまで作り出し、グッズ販売しているのに面食らいながらも、まずは、戦車や装甲車などを見学。
見せてもらったフィルムでは、軍用オートバイのアクロバティックなハンドルさばき、落下傘部隊の降下訓練など、日常の訓練の風景が次々に映し出されました。
(カッコよく作ったつもりらしいが、ストーリー性がなく、あまり印象に残らず。予算がなく、手つくりしているらしい)
また、現在も続く、イラク・サマワでの人道復興支援活動の状況を伝えるものもありました。
現地では、道路の敷設、水道の整備、学校・病院の復興などを手伝い、喜ばれているようです。
私の中東の経験(パキスタン、イラン、アフガニスタン、トルコ程度だが)からも、中東の人々は日本人に好意的です。
「ロシアに勝ったのはすごい!」(日露戦争のこと)
「日本人だから空手をやっているだろ。黒帯か?」
「原爆を世界で唯一落とされたんだよね」
などと、いいながら、見知らぬ人にお茶や食事を、何度もおごってもらったことがあります。
石油をたくさん買っていることも、理由のひとつでしょう。
イスラム教の影響で、「男は強くなくてはならない」という意識が強いため、空手を習っている人が多く、日本人で一番有名なのは、極真空手の創始者・大山倍達氏です。
こうしたことから、現地の自衛隊は「日の丸」を大きく服や車両に描き、「アメリカとは違うんだ」と強調して、ゲリラの攻撃を避けているそうです。

ヘリコプター試乗記

隊員食堂で、兵士と同じメニューのランチ(肉が中心で、汗をかくので塩辛い)をとったあと、4日午後3時、いよいよヘリコプターの準備ができた、との連絡が入りました。
まず「全員、耳栓をしてください。機内はヒーターがありますので、厚着は必要ないです。」などの注意を受けました。
20数人が二列に並んで、まっすぐ行進(?)
こんな歩き方、いつぐらいぶりだろうか、と思いながら、駐屯地の中を歩いて移動し、原っぱのような空き地に。
と、見る間に、バタバタバタと大きな音を振りまきながら、ヘリコプターが舞い降りてきました。
「こりゃ、大きいなあー」
思わず声があがります。
それもそのはず、CH47という大型ヘリコプターで、全長30M、幅16M、ローター(プロペラのこと)が2つ機体の上の部分についており、時速260キロで飛ぶことができるそうです(新幹線よりはやい)。
「列を乱さないで。止まらずに進んでください!」
とすさまじい爆音のなかで、怒鳴られるものの、ほとんど聞き取れず。
しかも、ローターの風圧がものすごく、草や土を舞い上げながら、我々を寄せ付けまい、とするかのように、風を叩きつけてきます。
前の人に隠れて前進しようとするも、なかなか前に足が踏み出せない。大の男たちが、フラフラよろめきながら、ようやくたどりつく始末でした。

上空から

ヘリのぱっくり開いた後部(お尻の部分)からなんとか乗り込み、ほっと一息・・・
誰かが、「カエルが口を開けた姿のようだ」とうまいことをいっていました。
機内は乗用車が二台縦にらくに入るような長さがあり、左右の壁に沿って、簡単な座席がついていました。定員26人くらい。
シートベルトをするとすぐ、離陸。
ふわっと浮き上がる感触は、旅行などで使う大型ジェット機では味わえない、感覚です。
あっというまに、高度700Mに。
「安定高度に達したので、シートベルトをはずしてもいいです」
と機内放送が入り、席を立ちます。近くにいても、ローターの音で、声は聞き取りにくく、かなりの大声で話すか、隊員たちのように無線を使うしかありません。
朝霞から、都心へ。
700Mというと、意外に下界(?)がよくみえます。
「あれは豊島園だ」
「中野サンプラザがみえるよ」
などと、いい年をした大人たちが子供のようにはしゃいでいます。
大型ジェット機では、風景もほとんどマメのように小さくしか見えないので、東京都心を、しかもこの低い高度で眺めるのは、なかなか貴重な経験です。
「そうそう、これならみえるかもしれない」、
と思い、わが社の入居するビル(26F建て)を探してみました。
ふわっと突然無重力になったり、真下をみて気分が悪くなりながら、ついに見つけました。
神楽坂周辺はあまり高いビルがないこともあって、にょっきり建っているビルが、わりと簡単に発見できました。
忘れていたけれど、ビルのてっぺんにはヘリポートがあるのも、確認しました。
時速100キロ程度で15分も飛ばないうちに、皇居をこえ、海がみえてきました。
汐留、品川の超高層ビル群が林立しています。
そのあたりで、Uターン。今度は秋葉原から、荒川に沿って、北西にむかい、合計30分ほどの爽快なフライトでした。
操縦席もみせてもらい、「いずれヘリか、小型機の免許をとって、操縦したみたい」と思わず感じました。(笑)

陸上自衛隊の広報

会議室に戻って、陸上自衛隊幕僚監部の広報室長・太田一佐(昔の大佐)から、レクチャーを受けます。普段は市谷の防衛庁にいるそうです。
カンボジアのPKOから10年がたち、防衛省への格上げ問題や、憲法改正の議論などまわりがあわただしくなっている状況がある。
そのなかで、考えているのは、
「国民に感動を与える広報」。
○○しました、だけではなく、ストーリー性をもたせることで、自衛隊らしさをアピールしたい。発信するだけでなく、「話題のある情報」を出していく、などに注意しているとか。
また、隊員の家族を巻き込んだ「内部広報」(社内広報)にも力をいれ、社内報の写真を全国から募集して、コンテストを催したりしています。

海上自衛隊に比べると、戦前からの一貫性がなく(米軍の施策で分断された?)、映画やテレビの「戦国自衛隊」に協力するも、「「亡国のイージス」「男たちの大和」のようにヒット作にならず、格好良さで負けているとか。

意外なところでは、音楽が国際協力や隊員の士気に大きく影響を及ぼすので、音楽祭や音楽隊に力を入れていきたい、という話でした。

伊藤の視点

自衛隊といえば、かつては「税金泥棒」とののしられ、旧帝国軍隊の悪いイメージをひきずっていました。アメリカ軍はベトナム戦争、イラク戦争でもわかるように、もともとマスコミに対してオープンで、広報体制がかなりしっかりしています。
自衛隊で早くから広報が充実してきたのも、ひとつにはアメリカ軍の影響が大きいようです。
また、旧軍のイメージを払拭し、「国民に親しまれる自衛隊」像を創りあげようとしてきたのも、戦後の自衛隊広報に課せられた使命であったでしょう。
また、若者を常に採用しなければならない(階級によって雇用期間が限定されており、18歳で入隊すると、一兵卒の場合、24歳で辞めなければならない)宿命があり、毎年7000人が入隊して、7000人が辞めていきます。
衣食住すべての面倒をみて、さらに再就職まで手当てする、手厚い世話といえど、とにかくイメージをよくしないと隊員募集に苦労するようです。とくに今のように景気がよくなってくると、公務員人気も落ち、集まりにくくなっているそうです。
広報の役割は大きくなるばかりです。
気になったのは、陸上自衛隊のHPの出来の悪さ。
説明を聞くと、予算がないので、内部で作っているとか。
海上自衛隊がかなりお金をかけて、見栄えのよいHPを作っているのに、これはちょっとまずいでしょう。個人のHPのようです。
・・・陸上自衛隊 JGSDF(http://www.jda.go.jp/jgsdf/japanese/)
若者が紙媒体よりWEBをより多く見る傾向が強くなっていることを考えると、ここはもっと力を入れるべきと感じました。