社長コラム

ライブドアとUSEN

がけっぷちのライブドア

上場廃止の決まったライブドアは、株価の下落に加え、資金調達の道も閉ざされることになっていました。
ポータルサイトの広告収入は7割も落ち、グループ会社の離脱で解体の危機に瀕していたといっていいでしょう。
「もはやこれまでか」
多くの人が思い始めたとき、投資会社を押しのけて、USENの宇野康秀社長が名乗りを上げました。
なんと95億円を個人でだして、ライブドア株のフジテレビ所有分を買い取ることにしました。
登録800万人に膨らんだ無料動画配信「GYAO」(ギャオ)事業に、ライブドアのブログサービスなどを融合させ、利用者、広告収入、会費収入の増加につなげたいという目論見です。
とはいえ、ライブドアの資産は、資料を捜査陣に押さえられ、ろくに調査もできないままで、はたしてどれくらいの価値があるのか(毎日どんどん減っているのは確実)、わかりません。
USENという法人ではリスクがあるので、ひとまず個人で、ということですが、ものすごいバクチであるのは確かです。

USEN宇野社長という人

私は、宇野社長から、直接お話を伺ったことがあります。
「イケメンの若手経営者」(42歳だが、30代半ばにみられる)という外見とあまり隔たりのない話しぶりでした。
あくまで落ち着いていて、さわやかでした。
その辺を歩いていたら、普通の中堅サラリーマンにみられそうです。
「学生のころから起業を考えていた。しかし父親の作った大阪有線放送(現USEN)は、兄が継ぐだろうと思ったので、自分は別のことをしようとした」
といいます。
大学生のとき、仲間数人で、人材紹介のインテリジェンスを創業。
登録する人たちを「お客様」として、下にもおかないもてなし(経験者によると、訪問時などにあんなに大切にされたのは初めて、といいます)で扱い、それまでの「単なる金づる」扱いをしてきたライバル社をぐいぐい引き離していきました。
「1人でも起業はできるが、さまざまな能力・意見を持った仲間と一緒で恵まれていた」と振り返っていました。
インテリジェンスは2000年に株式上場しました。
のちに、危篤の父親に枕元に呼ばれて、「大阪有線を頼む」といわれ、インテリジェンスの社長を友人に譲り、「USEN」と名称をかえ、受け継ぎます。
映画配給のギャガ、求人誌の学生援護会などを次々に傘下に入れました。
もっとも、光ファイバーによる高速通信サービスを始めたころは、ヤフーがブロードバンドで価格破壊をしかけたため、伸び悩み、「あのころは、つらかった」とか。
なんとかマンションに敷設するという道を見つけましたが、いまだ赤字のようです。
宇野社長の今回の決断が吉と出るか、凶とでるかは、数年を経ないとわからないでしょう。
しかし、「ITベンチャー再編の季節」を迎えた今、景気回復を読んで踏み込んだ宇野社長に敬意を表したいと思います。

★3月22日発売の「月刊フォーブス日本版」5月号に、「孫正義になれなかったホリエモンの蹉跌」という原稿を寄せました。2人の経営者比較論です。