PRキーマンとの出会い

菅直人氏(民主党)

民主党の党首選挙

4月7日投票の民主党代表選挙に、菅直人氏が出馬しました。
小沢一郎氏との一騎打ちです。
彼とは20年来のつきあいであり、家族ぐるみのつきあいでもあります。
学生時代に、彼の自宅で奥さんの手料理を食べ、息子と遊びながら、彼の選挙運動をボランティアで手伝いました。
その息子はいま岡山で代議士を目指し、選挙運動中です。

菅氏が厚生大臣になったときは、ブレーンとして、参画しました。
薬害エイズ問題だけでなく、O−157問題では、犯人扱いされた(カイワレ大根)の誤解を解くため、彼に大臣室で、テレビカメラをいれてモリモリ食べさせたりもしました。
民主党のスタート時には、創設に協力し、候補者が足りないから、といわれ、私まで選挙に出るはめになりました。

菅直人のPR手法

市民運動あがりで、30代で政治家を目指した菅氏は、金もなくコネもなく、地元出身でもありませんでした。(父親はサラリーマン、東工大卒、山口県出身で、選挙区は東京)
そこで、(マスコミを味方にする)、ことを重点におき、選挙戦を戦いました。
漫画家の本宮ひろし氏と対談をして、イラストを描いてもらったり、選挙事務所にオープンスペースを設置して、小さなイベントを連日打ったり、とにかくマスコミの話題になって取り上げてもらうことで、有権者に告知しようとしました。
注目してくれた筑紫哲也さん(TBS・NEWS23キャスター)などとは、マージャン仲間にもなりました。
自民党の候補者たちが4−5億円をかけて選挙戦を戦っているというのに、菅事務所の予算はせいぜい2千万円くらいでした。
そのため、素人の手つくりで戦うしかなかったのです。

ファンを作る

選挙は人手がかかります。
国政選挙ともなれば、遊説、演説会、名簿集め、選挙はがき書き、電話作戦などで100人以上動員しなければなりません。
ところが、お金がない上に、身内と友人しか運動員のいない状況で、戦えるわけがありません。
そこで目をつけたのが、主婦と学生でした。
時間に余裕があって、お金にこだわらない。むしろ、面白さを優先する。
そんな彼らは、絶好のターゲットであり、また、しがらみがないだけに、菅氏の理念(自立した市民による社会の実現)に共鳴しやすい層でした。
我々学生が選挙カーのスケジュールや巡回ルートを決め、おばさんたちがハガキを書き炊き出しをして、ビラを配布しました。
皆でイベントのアイデアを考え出し、実行しました。
選挙のプロがいない分、何をやろうが発想は自由であり、候補者の大変さをよそに、かなり楽しんでいました。
お金をもらっていないのが強みでもあり、理想を実現しようという志もありました。
私たちが楽しそうに運動していると、どんどん人が集まってきました。(来るもの拒まず、去る者追わず)がスタンスでしたから、フラッときて居座るものもあれば、1日でいなくなる人もいました。
(変わった選挙をしている)と、運動員までマスコミ取材を受けました。

企業が学ぶこと

その後も長く続く友人も得ました。
下村健一(TBS サタデーずばっと!キャスター、久和ひとみ(TBS ニュースの森元キャスター)などです。
しかけを作ることで、人が集まり、アイデアがあふれ出し、大きなうねりとなって広がって、結局選挙戦は、トップ当選を飾りました。毎日のように支持が膨らんでいった手ごたえを覚えています。
やむをえない窮余の策であり、アテにならないリスクがありますが、ファンを作って、自律的に支持を広げる、マスコミの力を最大限活用する、といった方法は、中小企業、ベンチャー企業のPRにとって、十分参考になると思います。
菅氏が今回代表に当選したら、またここで詳しくそのPR作戦の経験談を書こうと思います。

P.S. 彼についての本も書きました。24冊ある私の著作の、第1作目でした。
(菅直人の一歩—薬害エイズ問題でなぜ官僚に勝てたのか?)(KKベストセラーズ)
(今でもアマゾンで、古本で1円で売っています。これはひどい!笑)

イメージアップ

前回、「マスコミを味方につける」というお話をしましたが、これは、つまりイメージアップ作戦の一環です。
自民党=大企業、と仮定すると、菅=ベンチャー企業、と自分たちを設定しました。
これまでとは違う政治家、何か新しいことをやってくれそうだ、という期待感を醸成することを狙ったのです。
自分に対する支持を得る、と同時に、自民党への批判票を取り込むことを考えました。
敵の敵は味方なのです。
そのためには、徹底的に、これまでの政治家のイメージ(金と欲にくらんで悪いことを裏でしている)をぶち壊し、清新な政治家像を創り出すことにしました。

ポスター作戦

具体的には、選挙ポスターに相当な力を入れました。
ポスターは、事前運動のときから、街に貼りめぐらされますし、本番ともなれば、選管がわざわざ掲示板を作って、目立つ場所を提供してくれます。
なのに、ほとんどの候補は、宣伝のおまけぐらいにしか、考えていなかったのです。
菅氏は、見ての通り、イケメンなのを最大限利用して、友人のカメラマンに頼んで、芸能人かモデルのように、100枚以上の写真を撮影しまくりました。
天気のいい日を選んで、バックにはさわやかな緑を配色し、淡いカラーのスーツを着て、ニッコリ微笑むポーズをとりました。
おかげで、ポスターは人気を呼び、女子大生がはがして持ち帰る事件が起きたり、ポスターを見てボランティアに駆けつける女性が後を絶ちませんでした。
ドブネズミ色のスーツで、むっつりした表情で写っているオジサン候補とは、明らかに違いました。

地道な活動

とはいえ、表面的な人気だけで、当選できるほど、選挙は甘いものでもありません。
毎日の地道な活動は欠かせません。
有力な支持団体や組合があったわけではないので、そうした組織へのあいさつ回りではなく、もっぱら街頭宣伝活動に力を入れました。
朝夕は、駅頭に立って出勤するビジネスマン・OLに訴えかけ、昼は、宣伝カーに乗って団地へ行き、主婦たちに呼びかけました。
正直、菅氏はあまり演説が上手ではありません。(今でも進歩がない。笑)
まじめな政策の話ばかりするので、大衆受けが悪いのです。「笑いの取れない」話し方です。
ホワイトカラーのビジネスマン相手ならともかく、団地の主婦に、これは旗色が悪いです。

誰が見ているかわからない怖さ

何度か遊説に同行しましたが、ガラーンとしたひと気のない昼下がりの団地で、1人ぼっちでポツンと演説するのは、なかなかつらいものがありました。
しかし、彼は止めようとしませんでした。選挙区内の各地を定期的に、ひたむきに回っていました。お金がかからないのはいいですが、根気のいることです。
学生であった私からすると、「なんと無駄なことをしているんだろう」という疑問が頭を離れませんでした。
私が本当の理由に気がついたのは、しばらくたってからです。
ある日、ビラを駅の近くで配っていたら、あるオバサンが、
「最近、菅さんがこないけど、どうしたのかしら?」
と話しかけてきました。
聞くと、ある団地の主婦で、いつも台所仕事や布団を干したりしながら、菅氏の演説を聞くともなく聞いているので、しばらく聞かないと心配になってきたのだそうです。
この女性は、別に菅氏の支持者というわけではありませんでした。
ですが、ひんぱんに、菅氏が演説するのを聞くうちに、
「内容を十分理解しているわけではないし、一生懸命聞こうとしているわけでもないが、耳になじんでしまった」
というのです。
この話を本人にすると、
「いつも壁のむこうに、話を聞く人がいる、とイメージして話している」
とのことでした。
つまり、彼は目の前にみえない人たちに、話かけていたのです。

PR担当者が学ぶこと

ひるがえって。
PRという仕事は、必ずしもすぐに成果を挙げられるわけではありません。
お金に換算して効果を説明するのも難しいので、あまり予算を割り当てられないこともしばしばです。
しかし、地道なPR活動は、必ず誰かが見ています。聞いています。
小さな信頼・信用は積み重なることによって、やがて、大きな実りをもたらします。それを忘れてはならない、と思います。
ホンネをいえば、菅氏が今のように、有力な政治家に成長するとは、予見できませんでした。
ちょっと毛色の変わった議員がいるなあ、と知る人ぞ知る、の程度だと思っていました。
ただ、薬害エイズ事件で大きく実績を作り、政権獲得を狙うところまできたのは、ひとえにこうした硬軟とりまぜた、長い時間をかけた手つくりの活動があったからだと思うのです。

一点突破の全面展開

連立与党を組んだとき、菅氏は厚生大臣に推され、就任しました。
就任が決まったとき、彼は我々にこういいました。
「これまでをみると、大臣の平均在任期間は、わずかに10ヶ月。
つまり1年に満たない。信じられないくらい短い。
ただ、そういっていてもしかたがないので、この短時間でなにができるかを考えてみた。
そこで、2つだけ実行しようと思う。
薬害エイズ訴訟の解決と介護保険制度の導入だ」
ということで、他の件はおおまかに済ませ、この2件についてのみに、エネルギーを集中させていったのでした。
いつもいっていた「一点突破の全面展開」(限られた力を1ヶ所に集中することで、最低限の目標を達成し、その後の大きな展開につなげる)という戦術を、このときも実行しようとしました。
そして、2つとも実現をはたし、薬害エイズ事件が大きくクローズアップされたことで、彼は政治家として大きく飛躍しました。
結局大臣在任はぴったり10ヶ月でした。

振り回されて見失わない

大臣経験者がよくいうことですが、
「就任した途端、各部署の官僚たちが津波のように次々に押し寄せてきて、どんどんスケジュールを決めてしまい、それにしたがって動いているうちに、終わってしまった」
というのが、実態なのです。
おまけに、もともと政策や業界事情を知っている省庁ならまだしも、なじみのない場合も多いので、「ご進講」と称して、官僚のレクチャーを毎日受け続けているうちに、すっかり洗脳されてしまい、官僚の操り人形になるケースが多いのです。
大臣の国会答弁は「官僚の作文」というのが常識です。
しかし、せっかく政治家として大臣になって権力を手にしたのだから、官僚に振り回されず、自ら信じるところに従って政策を実現したい、
それが彼の考えでした。
若いころから、厚生省がらみの問題に取り組み、当時地元選挙区に薬害エイズの被害者がいて、老人を家庭で介護する介護疲れ、社会的入院などにも詳しかったのは、幸いでした。

したたかに、しなやかに

薬害エイズ事件の活躍は周知のとおりですが、実際には彼は、官僚とけんかをしたわけではありません。
情報の公開、被害者への思いやりなど、他の政治家では成し遂げられなかったであろうことは確かですが、郵政大臣になったときの小泉純一郎氏が官僚と真っ向から対立し、大臣室で昼寝ばかりしていたのと違い、官僚を上手に動かし、和解に向けて軟着陸させました。
なぜなら、官僚は組織人であり、役割を与えればそのとおりに動くものだ、ということを知っていたからです。
いくら有力政治家であっても、7万人いた厚生省職員を敵に回して、秘書官と2人では、太刀打ちできるわけがない、実務が進まないのです。
このあたり、彼は現実的でありました。
理想をいうのは簡単ですが、実現しなければなんの意味もありません。
粘り腰、したたかさもまた、必要なのです。

[今回のまとめ]
1.小さな力しかないなら、一点に集中を
2.明確な主張がないと、振り回される
3.目標を実現するには、現実的であること