マスコミの師匠
マスコミの師匠・田原総一朗氏から、哀しい便りが届いた。
いわゆる喪中ハガキだ。
夏に奥様を亡くされたのは、ご存知の方も多いだろう。
田原さんから毎年届く年賀状は、いつも夫婦連名だった。
この世代の人としては、大変珍しいと思う。
しかも、とおり一遍の文章でなく、新たな年を迎えるにあたっての決意表明や、今の時代について感じることをご夫婦で話し合って、それを文章にしておられた。いつも本音がそこにはあり、単なるカップルでなく、同志なのだといつも感じていた。
わたしが田原さんと初めてお会いしたのは学生時代にさかのぼる。
所属のサークルで講演会を企画して、早大大隈講堂にきていただいた。また偶然だが、自然保護の別サークルで、田原さんの娘さんと一緒だった。
その後、ご縁はなかったが、わたしが日経をやめ、フリーランスになってから、文芸春秋から声がかかり、「日本の官僚」シリーズで田原さんのスタッフをさせていただくことになった。細川政権当時のことだ。
ちょうど建設談合が問題になっていたときで、逃げ回る官僚の取材は困難を極めたが、幾度となく霞ヶ関に通い詰め、ついに建設大臣のインタビューにこぎつけたときは自分なりの達成感を味わえた。当時のケンカ相手(?)が現在の総務省・風岡事務次官である。
ほかにも、各省庁を相手にやりあったので、このとき官僚の発想法、その対策を学び、人脈も同時にできた。
わたしにとって、貴重な財産となり、その後の日本の行く末を考える大きなきっかけになった、忘れられない仕事だ
田原さんの奥様にお会いしたのは一度だけだが、お電話ではいつもお話していた。自宅を事務所にされているので、奥様か奥様の妹さんが秘書役で常に電話にでられるからだ。
ハガキには「娘たちの励ましもあり、何とか奥様とともに前向きに生きる覚悟ができた」とあった。
今までと同じような、厳しい突っ込み、鋭い時代感覚で我々を導いてほしいと願わずにいられない。